Abstract Understanding
抽象的に物事を理解するということについて気づきがあったので、メモを残して置きたいと思う。
前提
身近な人から
昔から数学で基本問題は解けたのに、応用問題になると解けなくなることが多かった
というようなことを何度か聞いていて不思議に思っていた。
最初は、単に理解が足りていなかっただけじゃないかなと思っていたが、ある時、堀江貴文さんが
物事を抽象的に理解するということが不得意な人が意外に多い
というような趣旨のことを話していることが合って、もしかしてこれかと同じかもと思った。
物事を抽象的に理解するということ
例えば、
リンゴは甘い
というのは、とても具象的な表現だ。
それに加えて、
ブドウは甘い
という表現も聞いた後、
リンゴとブドウは甘い
という結論に達することは出来ると思う。
そして、抽象度を上げて理解してみると、
フルーツは甘い
ということが言えるのかもしれない。
なので、もし
バナナは甘いのか?
という新しい問題が発生した時に、上の二つの事例から、
バナナも甘い
と推測できるようになるというのが、抽象的に理解するという自分のイメージだ。
数学の基本問題と応用問題の関係も同じで、リンゴとブドウに関する文章が基本問題、バナナに対する問いは応用問題とした場合、いくら基本問題を解いたとしても、抽象的に理解出来なければ、いつまで経ってもバナナの問題は回答できないということになる。
物事を抽象的に理解できないことの弊害
これはあらゆる面で出てくるように思う。
1を知って10を知るみたいな諺は、まさにこれを表現しているんじゃなかろうか。
例えば、読解力に関しても直接的に響いてくるだろうし、理解するという行動すべてに影響が出る気がする。
つまりあらゆることに関する効率性や正確性において、これが得意な人と不得意な人の間で、大きな差になって表れてくるように思う。
最後に
だから何という話なんだけど、今まで自分はそのように数学の問題構成を認識したことがなかったので、とても面白い発見だったなと思い、ここに記録しておきたいと思った。
ちなみに自分は数学に関していうと、そんなに苦手意識はなかったんだけど、物事を抽象的に理解しようと意識していたわけでもない。
物事を抽象的に、本質的に捉えるように意識するようになったのは、社会人になってからだと思う。
けど、振り返ってみると、そういった定理みないなものを考えることは昔から好きだったかもしれない。
後天的にこういった考え方、とらえ方みたいなことを、養うことができるのかはよく分からないが、現時点では出来ると何かと便利だろうなという印象だ。